弥陀の来た道
戒善寺の阿弥陀さまの御像胎内には『神力演大光 普照無際土 消除三苦冥 広済衆厄難』のお経文初め内面に墨書きされた諸々の記録があります。
それによると、寛文8年(1668年)に17人の仏師により大阪において建立されました。建立から165年間、大阪の地で厚い信仰を受けてきましたが、本堂破損の為、ご縁のあった山口県萩市のお寺に譲られることとなり、昭和9年(1934年)大阪から人員70人を以って鉄道にて移動され萩市のお寺に安置されました。
この阿弥陀さまと戒善寺とのご縁は昭和36年(1961年)のことでした。原爆で灰塵と化した当寺では先代住職覚譽上人が入山した際に静岡県からお連れした小さな阿弥陀如来像が仮のご本尊としてまつられていました。覚譽上人は「仏に大小はないが広く大勢の方々にどうか弥陀のご加護を受けてもらいたい、そのために古来から多くの人々のお念仏がこもったご本尊をお迎えしたい」と強い念願を持っていましたので、そんな折ご縁を頂いて当山ご本尊としてお迎えさせて頂くこととなりました。
『丈六仏』とは立ち上がったとき一丈六尺(約4m80cm)、座したとき八尺(約2m40cm)の大きさといわれる大仏さまですので、昭和39年(1964年)屋根の高い仮の本堂を建築しました。
萩市滞在三十年を経て、当山に奉迎安置されたのは昭和39年(1964年)9月19日のことでした。萩から広島への輸送は、トラックの荷台に阿弥陀さまをお乗せし、長い竹竿で電線をよけながらお運びしたそうです。ご町内の協力で、一部低い電線や電話線を切断して通行させていただいたというのですから古き良き時代と言えるでしょう。
昭和44年(1969年)に現本堂の工事に着工しました時は仮堂基礎から建物ごと仮場所に移動してそのままお待ちいただき、完成後に現本堂にお移りいただきました。。こうして戦後広島の復興発展のシンボルとも言える平和大通りにて私達をお見守りくださって半世紀が経ち現在に至ります。
昭和9年に大阪を旅発たれて萩市へ。この年の秋には大阪に台風が襲来し大きな被害があり、また第二次世界大戦では大阪大空襲の被害に会われたかも知れません。その後萩市に30年間留まられ昭和39年に広島にお迎えしましたが、直接広島に来られていたら原爆で跡形も無かったことでしょう。丈六の大仏様が交通も何もかもが不便な時代に、遠い土地へと困難の中を何とか無事に移動なされ、ここ戒善寺にお越し頂けたことは、当時の関係者の厚い信仰心と徳深い身施はもちろんのこと、ご本尊体の無量のご加護により本当に尊いご縁に恵まれたのだと思うほかありません。